2008年11月16日
<No 1>
■逗子と流鏑馬

本日は逗子の流鏑馬です・・・
もしよかったら、歴史ですので、下記を読んでください。
逗子と流鏑馬
鎌倉幕府の行事記録である吾妻鏡によれば、正治2年(1199年)9月2日源氏二代将軍頼家が、小壺の海辺で弓馬の達人を集めて「笠懸」を射させたという記録があります。
当時の小壺には逗子も含まれており、地形的に考えても現在の逗子海岸で「笠懸」が行われたことがうかがえます。
「笠懸」は「流鏑馬(やぶさめ)」と共に、疾走する馬上から弓を射るという騎射の一種で、これは関東武士のお家芸であり、当時最高の武技でもあったのです。
そのため、尚武の気風に富む源頼家が好んで、しばしば行ったことが記録に残されております。
「流鏑馬」は起源が古く、六世紀の半ば神事として始まり、平安朝では、宮廷の公事として年々催されておりました。
その後、源頼朝が鎌倉に幕府を開き、全国の統一を果したので、天下泰平を祈願するため、文治3年(1187年)8月15日鎌倉八幡宮の宝前で「流鏑馬」を催し、以来源家三代を経て文永3年(1267年)に至るまで、毎年の如く行われた輝かしい歴史があります。
さて、今回逗子海岸で行われる「流鏑馬」は、前記の如く深い由来がありますが、時代が流れ、昭和20年の終戦当時、逗子海岸にあった「なぎさホテル」に米軍が進駐しておった際に、武田流司家の先代金子帥範が彼等に流鏑馬騎射を披露したところ、彼等はこの日本伝統武芸に大いに魅せられました。
そして早速、ホテル前面の海岸にやぶさめ馬場を設け、米将兵がやぶさめの練習に励んだのであります。
昭和23年および24年の11月には、逗子市の人々も参観に加わり、日米親善流鏑馬騎射会が盛大に行われました。
当時国民は、有史以来の敗戦に遭遇し、物心両面で大混乱を極めておりましたので、逗子市の人々にとって大きな慰めと希望を与えることとなりました。
以上のとおり逗子と「流鏑馬」の係わりは深いものがあります。
逗子市商工会では、約800年前に行われた「逗子流鏑馬」を再現させ市民の皆様に、往時の伝統武芸をご高覧いただき、「美しい渚づくり」と「新しい生活文化圏の創造」につなげて参りたいと存じます。
2008年11月13日
<No 2>
■11月 逗子海岸

こんにちは、
久々に、逗子海岸の写真です。
だいぶ、空気が透き通ってきたようで、もう少し寒くなると
くっきり、富士山が見えてきますね、(^O^)
でも、実に穏やかな海岸です。
朝の散歩・・・・夜のランニング・・・・(T_T)
やっぱり逗子はいいですね(^_^)
もうすぐ、逗子に生まれて、50年が経ちますが
最近、やっと逗子の良さがわかってきた気がします・・・
ふふふm(__)m
2008年11月06日
<No 3>
■西鎌倉の戸建

だいぶお寒くなってきましたね・・・・
特選の戸建てのご紹介です。
最寄は湘南モノレールの西鎌倉駅徒歩10分
角地で、注文建築です、大変きれいにお使いです。
賃料は17万円、ペット可能です。
約39坪の建物なので、ゆったり間取りです。
三井ホーム施工なので、安心ですね・・・
詳しくは、おすすめより見てください。
寒いので、風邪などひかないようにしてくださいね(^_^;)
よろしくお願いいたします。
西鎌倉の戸建
2008年10月19日
<No 4>
■二級河川田越川(逗子市)から不法係留船を一掃!!

逗子の田越川に船舶がなくなりましたね。。。
すっきりしましたね、写真2枚目が保管場所です。
富士見橋付近に建設されました。
この施設は、県が管理をしています。
現在は、撤去船舶専門の保管場所ですので、一般の方は使用できません。
これも、県政の力がないと、ここまでは出来ません。
遊歩道も少しずつですが、出来ています。
京急新逗子方面の川沿いから、逗子海岸までを結ぶ計画です。
これが完成すると、逗子の名所になるのではなですかね!!!!
まあ、こんな平和な、逗子の町に是非住んでみてください。
おすすめします。。。(^O^)(^O^)(^O^)
2008年10月09日
<No 5>
■10月の逗子市海岸
穏やかな一日です。。。
10月の逗子海岸ですが、きれいですね(^_^;)
やっぱり海はいいな〜〜〜
大きな力をもらえますね。。。。
なんて、私だけですかね(T_T)
本日の逗子海岸をUPしてみました、きれいでしょ(^_^)
さて、写真に写っているのが、太陽の季節、記念碑です。
リンクを貼っておきますので、ご興味のある方は是非みてください。
逗子市の一部が理解できますよ(ふふふ)
太陽の季節
すごしやすくなりましたね、お部屋とか、土地、中古を見るには
最高の季節です、いざ、ご来店をお待ちしています。
まずは、物件を見る事ですm(__)m